バラ園があることは、当たり前ではない。
河津バガテル公園の閉園決定を受けて、いま思うこと
2026年、静岡県河津町の「河津バガテル公園」が、9月をもって運営を終了することが決まりました。
2001年に開園し、長いあいだ多くの人を迎えてきたローズガーデンです。
閉園の知らせを知ってから、私はずっと一つのことを考えています。
私たちの身の回りに、美しいバラ園があるということは、決して当たり前ではない。
そのことを、もう少し大切に考えなければならない時代に来ていると思っています。

私にとっての「バガテル」
私にとって、「バガテル」という名前には少し特別な思いがあります。
20歳のころに訪れたパリのバガテル公園は、私がバラに惹かれていく原体験の一つになった場所だからです。
それから長い時間が経ちましたが、バラに関わる活動をするようになった今でも、私が最も愛しているものは変わりません。
それは、「バラの香り」です。
バラの香りのものは全て、香水も、紅茶も、スイーツも好きです。人がバラの香りを抽出し、分析し、組み合わせ、一つの香りとして表現していく世界も、とても奥深く、美しいものだと思っています。
それでも私にとって、生きたバラの香りに勝るものはありません。
一輪の香り。そして、無数のバラに包まれる香り
咲いたばかりのバラに、そっと顔を近づける。
一輪の小さな花から、驚くほど豊かな香りが立ち上がることがあります。甘さの中に果実のような瑞々しさがあったり、紅茶のような奥深さがあったり、青々としたハーブの気配が隠れていたり。
同じ「バラ」という花でありながら、一輪一輪の香りは驚くほど違います。私は、その個性をじっくりと楽しむ時間が大好きです。けれども、バラ園には、一輪の花から香りを感じるのとはまた違う体験があります。
それは、全身でバラの香りを感じることです。イヤホンで好きな音楽の細部まで味わうことと、コンサートホールでオーケストラの演奏を全身に浴びることの違いに、少し似ている気がします。
一つひとつの音を静かに聴く喜びもあれば、いくつもの楽器の音が重なり、空間全体が音楽になる瞬間にしか生まれない感動もあります。
何百、何千というバラが一斉に咲く季節に、その中を歩く。風が吹くと、どこからともなく香りが流れてきます。
それぞれの花が放つ香りが幾重にも重なり、まるで壮大なオーケストラのように、空間を満たしていく。
その瞬間、香りを嗅いでいるというよりも、バラの香りに包まれ、まるで自身も風景の一部になったような錯覚を覚えます。
あの体験は、香水瓶の中にも、一輪挿しの中にもありません。
だからこそ私は、電車や車に乗って少し足を延ばすだけで、そんな場所を訪れることができるということを、とてもありがたいことだと思っています。


美しいバラ園は、自然にできているわけではない
一方で、バラに関わるようになって分かったことがあります。
私たちが春に訪れて「きれいだな」と眺めているあの景色は、自然にそこへ現れているわけではありません。
剪定をする人がいます。
花がらを摘む人がいます。
肥料を与え、水をやり、病気や害虫と向き合い、弱った株を植え替える人がいます。
河津町が公開している河津バガテル公園の管理に関する資料を見ても、剪定や誘引、花がら摘み、施肥、補植、灌水、病害虫防除など、年間を通して多くの作業が必要であることが分かります。
私たちがほんの数時間楽しむ春の景色のために、その場所では一年を通して仕事が続いています。
しかも、手入れが必要なのはバラだけではありません。芝生を刈り、樹木を管理し、園路を整え、建物を修繕し、トイレや水道、駐車場を維持する。
施設が年月を重ねれば、当然、老朽化への対応も必要になります。
つまり、バラ園の美しさは多くの人の仕事の積み重ねでもある、ということです。
河津バガテル公園が歩んできた25年
河津バガテル公園について調べてみると、その運営が決して平坦ではなかったことも分かります。
河津町の資料によれば、開園当初の2001年度には約24万人が訪れました。
一方、新型コロナウイルス感染症の影響も大きかった2020年度には、来園者数は約2万人となっています。
運営方式も変化してきました。
開園当初は第三セクターによる運営でしたが、2015年度から町直営となり、さらに2023年度から指定管理者制度へ移行しました。2025年には、町は2026年度から4年間を担う新たな指定管理者も募集していました。
その際に示された指定管理料の上限は、年間3,650万円、4年間で1億4,600万円。
民間の視点や手法を取り入れながら、集客や収益改善を図り、園を存続させていく道が模索されていました。それでも2026年3月、河津町は9月末での閉園を発表しました。
もちろん、一つの数字、一つの理由だけを取り上げて単純化することはできません。長い年月の中には、さまざまな事情があったはずです。それでも、この経緯を知ると、バラ園という場所を維持し続けることの難しさについて考えずにはいられません。

人口が減っていく時代に、バラ園を残せるだろうか
私は、公費によってバラ園や公園を支えることが悪いとはまったく思っていません。
むしろ、公園や庭園、美術館、図書館など、文化や自然に触れられる場所を社会全体で支えることには、大きな意味があると思っています。
人間は、生きるためだけに生きているわけではありません。
花を見て美しいと思ったり、香りに心を動かされたり、家族と出かけた場所を何十年も覚えていたりする。そういうものもまた、人生を豊かにしてくれる大切なものです。
だからこそ不安になります。
日本の人口は、これから大きく減少していくと推計されています。
人口が減少し、高齢化が進む社会では、医療、介護、福祉、防災、道路、水道、公共交通など、暮らしを維持するために必要なお金の重みはますます増していくでしょう。そこに、道路や橋、公共施設などの老朽化も重なります。
限られた財源の中で何を優先するのか。
その選択を迫られたとき、生命や生活の基盤に直接関わるものを優先せざるを得ないのは、ある意味では当然のことです。
そのとき、バラ園はどうなるのでしょう。
残念ながら、バラ園がなくなった翌日から生活できなくなるわけではありません。
だからこそ、
「この施設を、毎年お金を使ってまで残す必要があるのか」
そんな問いを向けられる可能性があります。そしてこれは、行政だけの問題でもないように思います。
私たちはこれまで、公園や庭園をとても気軽に楽しむことができました。無料で利用できるところも多く、有料の施設であっても、比較的手頃な料金で美しい庭園を楽しめる場所がたくさんあります。
それは、とても素晴らしいことです。
ただ、その美しい景色そのものが「無料」で生まれているわけではありません。
私たちの目には見えにくいところで、人が働き、お金が使われ、その一部を公費が支えているからこそ、私たちは気軽にその場所を楽しむことができます。
これからは、好きなバラ園を訪れることはもちろん、そこで食事をしたり、お土産を一つ買ったり、イベントに参加したりすることも、その場所を残す小さな支えになっていくのだと思います。
「この景色をこれからも見たいから、そのために必要なお金なら少し払いたい」
そんな感覚も、これからの時代には必要だと思っています。
もちろん、自然や文化に触れられる場所が、経済的に余裕のある人だけのものになってはいけません。
だから、単純に「料金を高くすればいい」という話でもありません。
ただ、安く楽しめることを当然と思うのではなく、ときどき、その景色を誰が支えているのかにも思いを巡らせてみる。
それだけでも、バラ園との関わり方は少し変わるような気がします。
そしてバラは、予算だけ減らして、今までと同じ景色を維持できる植物でもありません。
人手を減らす。
植え替えを遅らせる。
薬剤や肥料を減らす。
剪定や除草の回数を減らす。
最初の一年は、それほど大きな変化には見えないかもしれません。けれど、数年が経てば少しずつ株が弱り、花が減り、美しかった景観が失われていくことも考えられます。そうすれば、来園者も減ってしまうでしょう。
バラ園は、閉園という看板が掲げられた日に突然なくなるだけではなく、美しかった景色が、少しずつ失われていくという終わり方もある。
そのことも心配しています。
「手間をかけなくても美しいバラ」という希望
そんなことを考えていたとき、育種家・木村卓功さんの取り組みを改めて思い出しました。
木村さんは、日本の高温多湿な気候の中でも病気に強く、少ない薬剤で育てることのできるバラの育種を長年続けています。
Gunma Flower Park+のインタビューでは、木村さんがフランスを訪れた経験をきっかけに、日本の環境でも無農薬・低農薬で美しく育つバラを目指すようになったことが紹介されています。
その選抜方法も、とても厳しいものです。あえて病気が発生しやすい環境で薬剤散布をせずに育て、その中から耐病性の高い個体を選んでいく。
数多くの株の中から、病気に強く、それでいて花としても美しいものだけを残していくという育種です。
私は、この方向性に大きな希望を感じています。
強いバラが増えるということは、家庭でバラを育てる人の負担を減らすだけではありません。
将来的には、公共のバラ園や地域の花壇を維持するために必要な労力や薬剤、コストを減らすことにもつながるかもしれません。
これから日本では、植物を管理する人そのものが少なくなっていく可能性があります。
だからこそ、少ない手間でも、美しく咲くことのできるバラをつくる。
それ自体が、バラ文化を次の世代へ残すための仕事になるのかもしれません。育種という仕事の意味を、私は以前よりずっと大きく感じるようになりました。
とても尊い取り組みだと思っています。


では、自分には何ができるだろう
木村さんのように、新しいバラを生み出すことは私にはできません。大きなバラ園を所有することもできません。
自治体の財政問題を解決することもできません。
けれど、私にもできることが一つあると思っています。
バラを好きな人を、一人でも増やすことです。
一人がバラ園を訪れる。そこで初めて、本物のバラの香りを嗅ぐ。
「バラって、こんな香りがするんだ」と驚く。
また違うバラを嗅いでみたくなる。
次の春、もう一度バラ園へ行ってみる。
…小さな一鉢を自宅に迎える。
育てているうちに剪定の仕方を覚え、新芽が出たことをうれしく思い、初めて咲いた花の香りを誰かにも嗅いでほしくなる。
そしていつか、近くのバラ園や公園で行われているボランティアに参加してみる。そんな人が、一人、また一人と増えていく。
一つ一つは、小さな出来事です。けれど、バラ園を未来に残す最後の理由になるのは、結局のところ、
「ここを残したい」と思う人が、どれだけいるか。
なのだと思っています。行政が残してくれるから存在する場所ではなく、市民が「この場所はなくしてはいけない」と思う場所になる。
観光客として一度訪れるだけではなく、そこを繰り返し訪れる人がいる。
バラを育てる人がいる。ボランティアとして手入れをする人がいる。
園で食事をしたり、苗を買ったり、誰かを連れて再び訪れたりする人がいる。
そうしてバラ園が、単なる「花を見る施設」ではなく、人々の暮らしや文化の中に少しずつ根を張っていく。そこまでバラの文化が私たちの日常に根付けば、バラ園はきっと今より少し強くなれるのではないかと思います。
「香り」からの入口を作りたい
そして私は、その「香り」の入口を担当したい。心から、そう思っています。
「バラを育ててみませんか」と言われると、難しそうだと思う人もいるでしょう。
「バラ園を守りましょう」と言われても、まだバラに興味のない人には、自分とは遠い話に聞こえるかもしれません。
でも、「このバラ、ちょっと香りを嗅いでみませんか」ならほんの少しだけ、敷居が低くなるような気がします。
一輪の花に鼻を近づける。隣の花を嗅いでみると、また違う。
もう一つ、嗅いでみたくなる。
その小さな驚きが、最初の一歩になってくれるかもしれません。
香りを知る。
そこから、バラを好きになる。
バラを好きになることから、バラ園へ行く。
バラ園へ行くことから、自分でも一鉢育ててみる。
育てることから、いつかバラを支える側へ回っていく。
そんな小さな循環を、私はつくっていきたいと思っています。


バラ園があることを、当たり前にしないために
河津バガテル公園の閉園決定を、ただ「寂しい出来事だった」として終わらせたくありません。
この出来事をきっかけに、私自身も考え続けたいと思います。
美しいバラ園を維持するためには、人が必要です。お金も必要です。
そして、それ以上に、そこを大切だと思う人がたくさん必要です。
無数のバラが咲く庭を歩き、風に乗って漂ってきた香りに、思わず足を止める。
そんな体験ができる場所が、日本にはまだいくつもあります。
けれど、それは永遠に約束された景色ではありません。
だから、行けるうちに行ってほしい。花を見てほしい。香りを嗅いでほしい。
もし心を動かされたなら、もう一度訪れてほしい。
そしていつか、一鉢育てたり、誰かをバラ園へ誘ったり、ほんの少しだけでもバラを守る側へ加わってもらえたら、これほどうれしいことはありません。
私も、バラの香りという小さな入口から、その輪を少しずつ広げていきたいと思います。
バラの香りを、もっと多くの人へ。
そして、その香りが生まれる景色を、次の世代へ。
いつの時代も子どもたちが、無数のバラの中で深く息を吸い込み「いい香りだね」と言えるように。
その景色を未来へ残すために、私にできることを続けていきたいと思います。
参考資料
・河津町「河津バガテル公園の4月以降の運営について」
・河津町「河津バガテル公園 指定管理者募集」(公募要項・業務仕様書)
・Gunma Flower Park+「バラの育種家 木村卓功さん インタビュー vol.2」
・NHK出版「バラ育種家・木村卓功さんによる『新しいバラ』栽培のノウハウ」
